SUGIHARA YUKIKO HISTORY  

坂本眞里子 Mariko Sakamoto

日本国首相として最後の国際会議となる<ヨーロッパ・アジア首脳会議>にご出席の為、小泉首相は今フィンランド首都ヘルシンキに滞在中です。「まるでシベリウスの世界が向こうにあるようだ。」と音楽好きな小泉首相が森と湖を散策しているTVニュースを見ました。 日本人には<昔のヘルシンキ・オリンピック><愛らしい漫画ムーミン><ラップランドの豊かな森と湖>の国として知られている美しき白夜の国での外交舞台が小泉首相にとって 長い人生の中で <楽しく幸せな思い出>となりますように! 外交官夫人として杉原幸子夫人が最初に住んだ外国も 歴史上スウェーデンとロシアの支配が交互に繰返されたフィンランドで、赴任翌年1938年10月2日御次男の杉原千暁氏が ここ<バルト海の乙女>と呼ばれるヘルシンキで誕生。 幸子夫人はこのフィンランドを代表する大作曲家シベリウスに第二次世界大戦がもうじき始まりそうな時に会い<幸子夫人の宝物=サイン入りレコードと写真>を頂いています。

眠られず 白夜を出でて 歩み行く  白樺道は 湖(うみ)につづける (杉原幸子夫人 短歌集 『白夜』 P20)
I couldn’t sleep; so, went out into the open-air in white still brightened by a midsummer-night sun. Walking on, I found this white birch-lined road leading to the lake. (坂本眞里子 英訳)  

写真 (左): 落葉樹の若葉まだ出ぬ五月のヘルシンキ(2000年5月7日夕方 坂本眞里子撮影)
写真 (右:1938年ヘルシンキ/杉原千畝公使代理と2歳の長男杉原弘樹氏(美智様御主人)


成田からフィンランド航空直行便で約九時間。 日本から一番近いヨーロッパと言われる私のヘルシンキ滞在はベストシーズンと聞いていた2000年5月。 無事着陸した飛行機の窓からは成田空港とは全く違う自然風景が私の目の中に飛び込んで来ました。 飛行場を取り巻く無数の白樺。 どの木も軽井沢や北海道の白樺より細いのです。 飛行機から降りると、雪のない春とは言え、頬を突き刺す氷のように冷たい空気。「あー、これが北欧なのだ!」と地球北の最果て国に到着した事を実感しました。 ふと出迎えの空港職員の手を見ると、皆黒の皮手袋をはめていました。布の手袋では冬指先が凍るほど冷たくなり仕事にならない程寒い氷の雪国。北欧の人々はこの白樺からキシリトールを採取するので、 砂糖の値段が日本より安く、バルト三国同様、古い建物多い古都はカラフルなお菓子屋さんであふれていました。共産国時代食べれなかったお菓子を沢山食べても虫歯人口少ない国バルト三国。歯磨きも虫歯予防に 効果あるキシリトール入りで、「医学会出席日本人医師達もここの歯磨をよく買って帰国する。」と北欧美人の薬局店売子が言っていました。





慣れぬ会話 いたわりくるる 隣席の  仏国アタシェ 柔和な眸 (杉原幸子夫人 短歌集『白夜』P18)
I’m not familiar with a foreign language conversation! With his tender eyes to me, a French attache, seated next to me, kindly took care of me paying his gentle attentions.
(坂本眞里子英訳)  
《六千人命のビザ》第三章『白夜の国』で杉原幸子夫人はそこでの生活を次のように語っています。「フィンランドは湖の多い国で日本公使館は湖に面した建物の中にありました。公邸から望む湖の風景は素晴らしく清澄で、親しみのある人々の住む街でした。**外交官の付合いは夫人同伴**酒匂公使は奥様を日本に残して単身で来られていたので、公使夫人の役割が私に**女学校で学んだと言っても英語も充分に話せない状態で、いきなりこの大役。24歳の私には重い役目でした。まず語学が問題でした。夫と一緒に公式の席に出席しても、話せなければ外交官の役目は果せた事にはなりません。フランス語、ドイツ語の勉強が毎日続きました。**最初に招かれていったのは、スウェーデン公使のレセプションで、紫色が好きだった私は、紫のドレスを着ていきました。」

紫の ヴェールをまとひ 夫とゆく (『命のビザ』P64/Visas for Life P46) スウェーデン公使の レセプションの宵 (杉原弘樹氏英訳)
Wearing a veil of violet, I accompany my husband, to an evening gala at the Swedish Legation.
 

 私達は多くの独語を耳にしてきましたが<杉原千畝元リトアニア領事代理生誕百周年桜植樹祭>を終えた翌日2001年10月3日、ビリニュスの宿泊先ホテルでベルリンから来られた元裁判官女性の質問に答えられた幸子夫人の独語ほど美しいドイツ語を聞いた事がありません。ドイツと日本が敗戦国となった後、ルーマニアの収容所で独ホーエンツォレルン王家の王子と御一緒だったとか。 日本国外交官夫人として情勢厳しいヨーロッパで見事な貴族英語・独語・仏語を独学で修得された幸子夫人を私達は心から尊敬し、上流外国人知識階級に「まいった。」と溜息出させるその美しくお上品な身のこなしと豊かな教養を忘れません。 私達も使命である語学の勉強を続けます。 

ラーゲルの 窓にヴィオリン 弾きいます 金髪美しき ホーヘンツオーレルン伯 (短歌集『白夜』P53)
In front of my window at prison war-camp, here is His Highness Prince of Hohenzollern playing violin with his beautiful golden blond hair.
(坂本眞里子 英訳)  

ホーヘンツオーレルン王家とは ベルリンに宮殿持つ、日本ではウィル ヘルムI世と鉄血宰相ビスマルク、そして第一次世界大戦の敗北により ドイツ最後の皇帝となったウィルヘルムII世で有名な王家かと思います。 左の写真はドイツ最後の皇帝ウィルヘルムII世(母親は英国ヴィクトリア 女王の長女)の皇太子ウィルヘルム。現在の英国女王エリザベスII世と そっくりと思いませんか?血縁関係では英国王室=北ドイツ王室です。  現在のドイツにはバイエルン王家もザクセン王家もホーヘンツオーレルン王家ありませんが、この子孫達は旧貴族として今もすごい財産(=貴族英語・仏語・独語)を持っています。それは語学。欧州系大銀行や大使館に勤務すればこの人達に会えます。幸子夫人がルーマニアの収容所で見た王子も旧貴族。≪命のビザ≫の中で「ヨーロッパで出会った外交官の人達は何語でも話すことができます。16ヶ国語も話せる人もいました。」と幸子夫人が体験談を述べておられますが、私もこのような人達相手に日本経済がバブルの時東京で一緒に働き、学校で学んだ英語(=米語)と違うのに随分苦しみました。文法も大切な勉強ですが、後は自然と歴史の違いから来る感性の違いを読み取らないと彼等を理解するのは無理です。そして最後に解りました。ヨーロッパ旧貴族も認めるように日本語と日本文化が本当に美しく、この地球上でかけがえのない貴重な財産である事を。≪国際理解研究会≫の皆様の多くは海外の日本人学校で教えておられ、私よりも本場の語学を身に付けておられる事を十分承知の上で、次回のレポートでは私の語学失敗談を述べたいと思います。 私の失敗談や苦労笑い話が21世紀を生きる日本の子供達のお役に立ちますように!

戦場の 冷たき土に 伏してなく 共に逃れし 君を葬りて (杉原幸子短歌集 『白夜』 P.50)
Lying down on the cold soil of the battlefield, (坂本眞里子 英訳)
I cried for you buried here who had escaped with me to run away and around together!
(第二次大戦中、連合軍から怖れられた日本のゼロ戦とナチ空軍部隊のメッサーシュミット戦闘機。  幸子夫人の命守った若きデューラー空軍将校は今も墓標一つ無くルーマニア草原に眠っています。)  

下記写真はベルリンからビリニュスにやって来た元裁判官シュラ夫人(長男が元ドイツ銀行東京支店勤務)のデューラー将校に関する質問に88歳の幸子夫人が美しいドイツ語を使ってお答えしている写真です。 幸子夫人の語彙力は外交官や大学教授以上との評価で、アウシュビッツ他戦争責任で各国に今も謝り続けているドイツ政府は「幸子夫人の命がナチ空軍将校によって救われていた事が十年前に我々に伝っていたら。」と残念 がっていました。杉原問題は今も続く複雑な世界 平和解決に日本が大きな外交力発揮する源に! そうしなければ宗教戦争で地球が滅びてしまう。



第二次世界大戦中のパルチザン相手のルーマニア(当時ドイツ領)での銃撃戦は<激戦の中の激戦>と言われており、元独シュレーダー首相のお父様もここで命を落され、遺骨発見はシュレーダー首相就任後。 ベルリン政府は今も欧州各地に眠るドイツ兵の遺骨収集を続けています。
                          

(写真上段: 2000年5月、中に入れぬ旧日本領事館と記念プレート) (写真下段: 2001年10月2日午後、桜植樹祭後、記念サイン)

私が初めてリトアニアの土を踏んだのは2000年 5月ゴールデンウィーク明け。フィンランドより南に あるせいか、バルト三国の内リトアニアとラトビアは暖か く緑多い春を満喫。首都ビリニュスから車で45分 古都カウナスの旧日本領事館へ。この場所で杉原 千畝元リトアニア領事代理が『命のビザ』を発給した事 を伝えるプレートが薄いクリーム色の二階外壁に はめ込められているだけで、一階と地下の外階段 壁面は濃い朱色のこの小さな建物の中に入る事が その時はできませんでした。

現地ガイドのお話によると、1994年8月30日杉原幸子夫人と美智様がここを訪問の際、「この建物を杉原千畝氏称える博物館にしよう。」というリトアニア大統領ご一行の申し出に対し、幸子夫人が 「私どもは人として当然の行為をしたまでの事!今住んでいるリトアニア人を追い出してまでして、夫を称える記念館を創って頂きたいとは思いません。」と大統領と首相に即座にお断りになった為、大統領達はこの建物外壁に<命のビザ発給の建物>を知らせるプレート設置と首都ビリニュスに『杉原通り』を設ける事を決断。 夕方ビリニュス郊外森のホテルに戻った私をバルチック米国病院長夫妻が車でこの『杉原通り』に案内してくれましたが、あまりに寂しい通りで、翌年2001年10月2日この『杉原通り』の桜植樹祭に参加。リトアニア旅行経験日本人が少なかったので、開催社日本通運鰍ノバルト三国の資料を提供。 リトアニア詠った幸子夫人の短歌は米国へ。 ルーマニア激戦語る短歌はドイツへ。 『白夜』の翻訳完了を急がねばなりません。

杉原家が長年家族同様のお付き合いをされてこられた旧日本領事館の住民、リトアニア人お婆様が2001年お亡くなりになり、この建物は『杉原記念館』に。講演会で旧領事館に桜を植える幸子夫人のお写真を皆様にお見せしましたが、上記写真はその建物の中で命のビザが実際に書かれた机で幸子夫人が記念サインしている場面です。「サイン後、まるで旧日本領事館の各お部屋に別れを告げるように無言でぐるっと天上や壁・床を見つめる幸子夫人のお顔を生涯忘れる事ができない。」とこの植樹祭に参加した友人も言うように私達は本当に美しい幸子夫人をみました。色々な思い出が走馬灯のように幸子夫人の心の中を駆け巡っていたのでしょう。ヘルシンキ → 1939年当時のリトアニア首都カウナス(現在のリトアニア首都ビリニュスは当時ポーランド領)に日本領事館を新設。翌年1940年御三男の杉原晴生様カウナスで誕生。その年の7月29日〜9月ベルリン行き特急列車に乗る迄ユダヤ難民に大量ビザ発給。ベルリンの日本大使館でプラハ日本総領事館へ赴任命令。 その後、独クーニヒベルグ(現在ロシア領、カリーニングラード) → ルーマニア → ***杉原家が長年家族同様のお付き合いをされてこられた旧日本領事館の住民、 リトアニア人お婆様が2001年お亡くなりになり、この建物は『杉原記念館』に。講演会で旧領事館に桜を植える幸子夫人のお写真を皆様にお見せしましたが、 上記写真はその建物の中で命のビザが実際に書かれた机で幸子夫人が記念サインしている場面です。「サイン後、まるで旧日本領事館の各お部屋に別れを告げるように無言でぐるっと天上や壁・ 床を見つめる幸子夫人のお顔を生涯忘れる事ができない。」とこの植樹祭に参加した友人も言うように私達は本当に美しい幸子夫人をみました。色々な思い出が走馬灯のように幸子夫人の心の中を駆け巡っていたのでしょう。 ヘルシンキ → 1939年当時のリトアニア首都カウナス(現在のリトアニア首都ビリニュスは当時ポーランド領)に日本領事館を新設。翌年1940年御三男の杉原晴生様カウナスで誕生。その年の7月29日〜9月ベルリン行き特急列車に乗る迄ユダヤ難民に大量ビザ発給。 ベルリンの日本大使館でプラハ日本総領事館へ赴任命令。 その後、独クーニヒベルグ(現在ロシア領、カリーニングラード) → ルーマニア → ***



以前、中川先生からリトアニアでの幸子夫人短歌が欲しいとの要望あり。これらが私の訳でなかったので著作権問題等でお渡しできなかったのですが美智様から許可頂けましたので下記します。  

かたきドイツ語にて公園の柵に記しあり 「ユダヤ人入るを禁ず」 (日本語版『命のビザ』 P.17)
In harsh German, engraved on Cold Steel. (英語版Visas for Life  P.5)
Proclaimed with an emotionless expression, Jews Forbidden
ビザ交付の決断に迷ひ眠れざる 夫のベッドの軋むを聞けり (日本語版2001年第7版『命のビザ』 P.25)
Chiune’s Distress, being undecided, about issuing the visas (英語版Visas for Life P.10)
Tossing turning contemplating, I hear his bed squeaking all night.
(杉原弘樹氏 英訳)  ビザを待つ人群に父親の手を握る 幼な子はいたく顔汚れをり (日本語版『命のビザ』 P.40)
There in the crowd, waiting for visas, is a boy (英語版Visas for Life P.24)
Clutching his father ever so tightly, his face is dirty
(杉原弘樹氏 英訳)  走り出づる列車の窓に縋り来る (日本語版『命のビザ』 P.43)
手に渡さるる命のビザは (英語版Visas for Life P.29)
The train pulls away, hands reaching out the window (杉原弘樹氏 英訳) Passing out visas, hands reaching towards the windows, for visas for life ―HOPE  哀・歓の 何れが多き わが生に 今も続けり 終わらざるドラマ (日本語版『命のビザ』 P.204)
Sadness or joy, which I had more in my life? (坂本眞里子 英訳)
It’s still lasting like an endless drama! (英語版Visas for Lifeに訳なし)




今年 成田空港で<桜植樹祭>が執り行われると聞きました。 本当に嬉しいです。 外交上の友好事業の一環として海外で<日本桜苗木植樹祭>が盛になってきているのでしょうか? 「本物の桜を日本で見たい!」との声を海外でよく聞きます。 日本では「成田はハブ機能をお隣りの韓国やマレーシアに奪われた!」と心配する声を頻繁に聞く今日この頃。この桜満開にはどの国の飛行場も勝てないでしょう。 ハブ機能が成田空港に戻るきっかけを美しい桜がもたらしますように!  

 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ (古今集 紀友則 845-905)
Elegant sunlight from Heaven is shining on this spring day; however, without heart of rest, cherry blossoms falling down in silence! (坂本眞里子英訳)




2001年 リトアニア大統領や早稲田大学関係者や日本国全権大使ご臨席の許<故杉原千畝元領事代理生誕百周年記念桜植樹祭>が御次男杉原千暁様誕生日10月2日に執り行われました。主催社の日本通運から「日本国大使館側の出席はもめにもめている。」と聞かされており、皆日本大使館職員は欠席と思っていたら当日全権大使が現われました。 非常に複雑な確執ある中、今年5月麻生外務大臣が旧リトアニア日本領事館を訪問し、『命のビザ』発給の勇気を称える演説− 私達ボランティアには本当に嬉しいニュースでした。 杉原千畝様誕生日は1900年1月1日ですが、マイナス30〜40℃にまでなる厳しい冬は式典が無理だし、私達もこんな北国に桜を植えて果して花が咲くのか疑問を持っていましたが、翌年ほんの数個ですが桜の花が咲いたのです。 桜は冬眠できる所では花咲くが、冬眠できぬ東南アジア他冬の無い常夏の地では花咲かぬ事を知りました。 

 2001年<9・11>以来、世界主要国際空港ではテロへの警備が益々厳重になってきています。秋風吹く今日9月11日は私にとって亡き父の80歳の誕生日であると同時に、5年前『9・11同時多発テロ』ニュースを滞在中のドイツで知り、1年間全力投球で準備してきた 『杉原千畝元リトアニア領事代理 生誕百周年記念 桜の苗木植樹祭』が一夜で白紙に戻った忘れられない日です。 ニューヨーク最高層ビルに突入したイスラム教徒パイロットが日本人在住者も多い北ドイツの表玄関ハンブルグの工科大学で学ぶドイツ人恋人と同棲中の優秀な大学院生だった為、日夜ドイツのテレビや新聞ではこのテロ事件を《神風》と呼んで報道していました。 日本の《神風》は日本人が古から持つ武士道に基づく自己犠牲の美意識がもたらした悲劇。 私は五千年に及ぶイスラム教徒・ユダヤ教徒・キリスト教徒達の憎しみ溢れる血みどろの宗教戦争に《神風》の言葉が外国で使われる事に違和感を覚えました。東京や大阪での数年に及ぶ勤務経験持つドイツ人は「日本の《神風》は一人で散っていった。多くの一般人を巻き込んだ今回の事件は同時多発テロ宗教戦争であって《神風》ではない。」と言って、「果してリトアニアでの桜植樹祭式典は?そして無事日本に帰れるかしら?」と不安がる私を励ましてくれました。 靖国問題は今や中国や韓国ばかりでなく、先日会った英国人まで怖れています。 《神風》奉る靖国神社が日本人にとってだけの神聖な場所ではなく、イスラム教徒達に勇気与えかねない危険な場所に感じるからです。私は次期日本国総理大臣が第二次世界大戦の戦争犠牲者に祈りを捧げると同時に「我国のこのような悲劇を他国は自爆テロによって繰返してはならない。」と靖国神社で世界に向けてスピーチして欲しいです

  雨少なく空気乾燥した南欧では、マチスやピカソの油絵世界のように、花の色は日本の草花よりも原色で濃く、枯れる時は土褐色。 それに比べ日本の梅や桜が舞い散る景色があまりに美しく、これが日本人の古からの美意識になっていたからなのでしょうか?日本の多くの若者達が桜散るように太平洋の海底に尊い命を沈めて行きました。 日本人の古典文学に描かれた「花散るように人の命がはかないので、『もののあわれ』という感性を私達日本人は昔から持っている事」を話したら、《神風》にイヤなイメージ持っていた英国人が中国政府を批判するようになりました。 人生の終焉を美しく表現する世界最高峰芸術は ≪日本の古典文学≫と今年<高松宮殿下記念第18回世界文化賞>を受賞する20世紀最高バレリーナでロシア系ユダヤ人のマイヤ・プリセツカヤによる≪瀕死の白鳥≫と言っても過言ではなく、第二次世界大戦終焉カーテンは≪ポツダム宣言≫と≪日本の神風特攻隊≫と≪広島・長崎への原爆投下≫で、《神風》は日本の武士道が招いた悲劇と思っていた私は、成田からベルリンに到着した2001年9月8日又《日本の侍魂》という言葉を現地に住む日本人女性から聞かされました。


『ドイツにおける日本年』開催中=2001年<9・11>が起きる二年前、ドイツ政界一番の大者(実質上の首相と長年言われている有名人)ミッシェル・フリードマンが杉原弘樹氏に改装工事終了したベルリンの日本大使館パーティーでスピーチを依頼。 ドイツ人男性と国際結婚した日本人女性も大勢会員になっている『独日協会』員も招待されている中、弘樹氏が「僕はまだ子供だったが、ビザを書いたあの時の父の姿を僕は覚えている。今、あの時を振り返り、父の姿を思い出すに、あれは父の心の中に眠る日本人としての《侍魂》があのビザを書かせたのだと僕は思う。」とお話を終えると、涙して聞いていた聴衆が皆立ち上がり「杉原千畝こそ真の日本の侍だ!」と叫んだそうです。 第二次大戦前の旧大使館建物を修復して使える特権は日本とイタリアだけにベルリン政府から与えられた栄光。 過去の三国同盟のイメージ持たれない為、通りの名前だけ『広島通り』に変更。 古く美しく重厚な大理石の日本大使館内は拍手と日本人女性が涙流す熱気に包まれ、感動したユダヤ系ドイツ人のミッシェル・フリードマンは現役の日本国全権大使に「あなたがその立場に立たされた時、杉原千畝と同じ行動が取れるか?」と質問。 のらりくらりの返答で“Yes”も“No”も言わない現役日本国大使館側。 ミッシェル・フリードマンは何度も同じ質問を繰返した。 とうとう、失望の顔を見せた時、国際結婚した日本人女性が呟いた。「杉原弘樹がこの日本大使館の全権大使としてベルリンにいて欲しい!」と。この話しを9月9日にベルリンで聞かされた私は、10月3日ビリニュスで幸子夫人と未亡人になられたばかりの美智様に伝え、「ご本に 息子を外務省に勤めさせたくない幸子夫人の強いご意志をくみ取り、弘樹様は東大ではなく、米国の大学に入学と書かれてあったけれど、弘樹様を外務省に勤めさせれば良かったのに。」と幸子夫人に生意気にも私が言うと、美智様が「眞里子さん、弘樹は今天国にいる父千畝の所で一緒にこのお話しを微笑みながら聞いていてよ。」とお答えになられました。 これが私と美智様の出会いです。

*****     *****     *****     *****     *****

1989年予期せぬベルリンの壁崩壊。しかし「社会主義国家は何れ必ず崩壊する。」とソビエト崩壊を遠い昔に予言していたアジアの巨人がいました。岡倉天心の親友でアジア人として初めてノーベル賞を受賞したインド・ベンガルの詩聖人ラビンドラナース・タゴール。 タゴール予言した通りの事が世界で次々と起きて行き、ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ迄は社会主義国家の中で禁止中の禁止となっていたタゴールのロシア語本がベストセラーに。 現在タゴールの詩はベートーベン誕生日12月16日に独立宣言したバングラデッシュ国歌になっており、この詩朗読が高評だったのでここに明記します。 しかしこれは旅行社の日本語版に掲載されたバングラデッシュ国歌なので、幕張のアジア経済研究所で半年間勉強されて今はバングラデッシュ財務省高官パリマル・チャンドラ・ボース氏(インパール・インド独立運動で有名なスバシュ・チャンドラ・ボース氏ご子孫)にこの<ベンガル語←→日本語訳>が正しいか英訳を送って確かめます。 天心とタゴールが<インド・日本外交>の強い絆を創って下さった御陰で私はパリマル・チャンドラ・ボース氏と巡り合う事ができました亡き偉人達の友情を永遠に大切に! チャンドラ・ボース氏より訂正来れば再度皆様にご報告致します。

 

わが黄金のベンガルよ、                                 Oh, my golden Bengal,

私はあなたを愛します。                                  I love thee!

いつもあなたの空、あなたの風が                     Always, your sky and your wind

私の心に笛の音を響かせます。                      reverberate the flute sounds echo in my heart.

母よ、早春にはあなたのマンゴ畑に               Oh, Mother! In early spring, your mango farms

香りが満ち溢れます。                         were filled with their fragrance all around!

母よ、晩秋には、豊かに実った            Oh, Mother! And late in autumn,

あなたの大地に                                             on your land of a rich harvest,

わたしはなんと美しい微笑みを             what a beautiful smile I got!       (坂本眞里子 英訳)

見たことでしょう。                              An extract of Bangladesh National anthem, the lyric

バングラデシュ国歌より抜粋/ノーベル文学賞    was written by Sir Rabindranath TAGORE (18611941),

受賞の詩聖人ラビンドラナース・タゴール作詞    a poet, the first Nobel Prize winner for the literature in Asia.

 

今日又米国ブッシュ大統領が「我、テロと戦う!」の演説しています。幸子夫人は2001年リトアニアでの桜植樹祭無事終了後、イスラエルのシャロン首相にお手紙出されました。「貴方のこの頃の行動を見ていると、私どもが第二次大戦中命懸けでした行動が 果して正しかったのか間違っていたのか解らなくなりました。」と。この手紙にショックを受けたシャロン首相は一時的にパレスチナや聖地に対する爆撃を中止されたそうです。 今や戦うのではなく理解し合わねばならない時代ではないでしょうか?日本は歴史上イスラム教徒達と戦争した過去もないし、杉原ビザの御陰でユダヤ人達からは非常に好感持たれているし、外交上非常に有利な国と言えると思います。 21世紀を生きる日本人の子供達が世界の中で幸せに生きて行けるよう、千葉市の先生方皆様に紙に残した私の今迄の国際交流経験を託します。 子供達の幸せを心から祈り、今後の日本外交の参考にと米国に強いドイツでの2001年9・11頃の思い出を書き、今日の私の話は終りとします。

 

*****     *****     *****     *****     *****

 

<千葉市幕張メッセ>と<ドイツ・フランクフルト・メッセ>は姉妹メッセ。両メッセイベントの中でも最重要イベントの一つが<モーターショー>。 米国デトロイト → 独フランクフルト → 千葉幕張メッセの順に移動。 メッセ会場が中央駅前にあるフランクフルトは<モーターショー>の為、数年前から市内ホテルが満室になり、宿泊代金が通常の二倍になる事で有名。 2001年9月12日、真近に迫った『フランクフルト・モーターショー』を中止すべきか、政治家とドイツ経団連一心同体とも言える討議の結果、「ニューヨーク(マンハッタン)同様、フランクフルトはマイン川沿いに高層金融ビル(皮肉でマインハッタンと呼ばれる市中心地区)多く、飛行機突入テロが何時起きても不思議ではない状況下に我々は置かれている。 しかし今回の同時多発テロはイスラエル寄りの米国ブッシュ大統領の失策とドイツは判断し、2年に一度の祭典フランクフルト・モーターショーは変更無で開催する。」の発表を ドイツ警察一丸となった非常時警戒態勢でガラガラになったドイツ金融の首都フランクフルトで聞きました。 トルコ人他移民労働者が無造作に捨てるゴミの為、何時も汚く治安悪いフランクフルト中央駅周辺はイスラム教徒厳戒チェック体制の為、ガラガラで奇麗でした。 微笑みながら日本人女性を見守るドイツ警察の御陰で一番安全なフランクフルトを自由に歩く事ができましたが、「無音で死んだ金融都市を抱えるヨーロッパ」はもう二度と見たくありません。マイン川沿い南側にある、元ロスチャイルド家住宅跡<ユダヤ人博物館>を見学後、日本を心から愛して止まないドイツ銀行東京支店仲間が働く 銀行本社高層ビル群を刺すような緊張感で仰ぎ見ました。 勉強不足で本当かどうか解りませんが、このフランクフルト在住ユダヤ人財閥ロスチャイルド家のフランクフルトからロンドンへの大金動かす逃避行の為、ドイツからのミサイル攻撃に苦しむ英国連合軍が逆に後半の第二次世界大戦に勝利したとヨーロッパでは言われています。

 

幕張の『東京モーターショー』は世界のモーターショーの中でも激戦の中の激戦モーターショーです。 多くのドイツ人技術者達が『東京モーターショー』に自分の創作車を出品したがっています。「我社の展示スペースが三倍あれば、もっと良い展示ができるのに。」とVW部長も嘆いていたので、フランクフルト・モーターショーでの展示を自分の目で確めたく、「フランクフルトは危ない。マリコはベルリンに戻れ。」の忠告を無視していたら、千葉と東京間位の距離ある古都ヴィスバーデンにフランクフルトから移動させられました。ここはロシア帝国最期の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(=英国ビクトリア女王の孫娘=ヘッセン大公女アリックス)の出身地でヘッセン州の州都。昔から多くのソビエト政府高官の別荘がここにはあり、(現在のプーチン大統領家族も頻繁にドイツに来ています。)一般ドイツ国民よりもはるかに贅沢な生活を楽しんでいます。ドイツとロシアは日本よりも政治・経済上近い関係にあり、ドイツはロシアに敏感で、「えっ、実際のロシアってそんなにひどいの!」と、日本の新聞やテレビでは報道されないビックリニュースがドイツ人との会話の中で繰返されます。今後北方領土問題を考える際、ドイツ人の目から見たロシア現状に耳を傾けるべきと思います。日本の学校でチャイコフスキーはロシアを代表する作曲家と学びましたが、ここドイツでのチャイコフスキーは仏語を母国語として生活していたロシア貴族社会を代表する大作曲家であって、ロシアの代表的作曲家はスラブ文化を持つハチャトリヤンやストラビンスキーです。 そして現在も仏語・英語・独語を自由に話せるロシア人と話せないロシア人では精神的に住んでいる世界が違います。ソ連から独立した1991年以降、リトアニア人のロシア語使用アレルギー状態を思うに、リトアニア人とロシア人が英語で会話する日はそう遠くなく、21世紀前半も英語が世界共通語の地位続行と予想します。若者の標準語が「ちょう、むかつく。スゲー。」でも書き言葉に未だなっていません。このような言葉が直に書き言葉に変わり易いのが方言なまりの米語。これを公式文書に使うと大変な事に。小学校から短歌朗読を始めると新聞で読みました。英語も文学朗読しておくと手紙が早く書けるようになります

*****     *****     *****     *****     *****

最後に私達が大好きな日本の法律英訳ドラフトを贈ります。<伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛すると共に、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する(豊かな心と謙虚な)態度を養うこと As well as respecting our Japanese traditions and cultures with loving our country Japan and its home provinces, where those have been promoted; respect other countries with cultivating our rich hearts and modest attitudes of contributing to the peace and the development for international societies.